事業の創造 解題(2) 阪急電鉄開業当時の鉄道ビジネスの特徴

現在の宝塚市は大阪のベットタウンとして山の上まで開発されていますが、阪急電鉄開業当時の宝塚はのどかな農村でした。このため、大阪と宝塚を移動する乗客は期待できません。開業当時「田舎に電車を走らせてどうするのだ」と言われたこともあったそうです。そもそも、当時の民営鉄道の事業システムは人口密集地を走行することを前提として組み立てられています。すなわち、ターミナルは目的地に置き、路線は人口が密集する集落を通り、車両は高加減速を可能とする電車を選び、ダイヤは「待たずに乗れる」高頻度運転と電車の特定を生かした高速運転といった特徴があります。言い換えるならば、乗客の創造など考える必要がないということです。

民営鉄道は都市間連絡ないしは参詣客輸送を任務とし、副業に電燈事業を行うというのが一般的でした。鉄道事業としては顧客を確保するために何らかの手段を講じる必要はなかったのです。また、有り余る電気の販売先として電燈事業を行い収益の安定をことが一般的です。このように書けば鉄道会社が副業として電燈事業を行っているように聞こえますが、実態は電燈会社が副業として有り余った電気を使って電車を動かしたということが一般的でした。このため、電力会社の先祖に電鉄会社があるのか電鉄会社の先祖に電燈会社があるのか、といった状態になります。関西地区では、阪神電気鉄道と京阪電気鉄道がこの系統に属します。

これに対して、阪急電鉄とその祖先である箕面有馬電気軌道は都市間連絡を目的としたものではなく福知山線国営化救済策として設立されたものであり、当時の民営鉄道事業の成功モデルを使うことができなかった点が特徴です。事実、会社設立発起人がこの会社から逃げようとしたエピソードもあるくらいです。先にも触れたとおり宝塚はのどかな田舎町で、沿線も未開発の地であったことが特徴でした。このため、乗客を創造しなければ収益基盤が存在しないということになりますが、小林一三氏は勝算があって電車を開業します。その勝算こそ、顧客を創造するために構築したシステムでした。

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