近畿日本鉄道を題材にM&Aを考える (7)-『経営者を信じてこの金融には応じて良いと考える』

大阪電気軌道・参宮急行電鉄が名古屋に行くにあたり、伊勢電気鉄道が立ちはだかります。伊勢電気鉄道は地元の名士が設立した企業で、関西系の大阪電気軌道と合併して名古屋に向かうという選択肢はありません。さらに伊勢電気鉄道は名古屋でなく宇治山田への建設を優先させます。このことが影響して、さらに四日市銀行が破綻することも手伝い、伊勢電気鉄道は会社整理に陥ります。会社整理にあたり大阪電気軌道と名岐鉄道(愛知電気鉄道と合併してのちの名古屋鉄道)が分捕りあいを行います。名岐鉄道側は興銀名古屋支店がバックにつきます。これに対して大阪電気軌道は三菱銀行を頼ります。大阪電気軌道のメインバンクである三菱銀行は参宮急行電鉄に一千万円の貸付を実行することで応え、分捕りあいは大阪電気軌道が勝つことになります。

 

ただ、この分捕りあいが日本興業銀行にとっては異例なものでした。なんとなれば、今風に言えば繰越損失がマイナス357千円で当期損益26千円という収支トントン会社(ともに昭和9年決算時)に、10百万円を融資するのですから。通常このような融資は起こりえません。参考に親会社の大阪電気軌道の昭和9年度の純利益は3,289千円です。ですから、この資金は明らかに大阪電気軌道に貸したということです。とはいえ、当時の収支状況からすれば大阪電気軌道にもエクイティファイナンスを行う体力はなかった可能性が大きいのです。

 

0205 さて、M&Aの資金調達ですが、今回のディールは現金10百万円によりました。これは伊勢電気鉄道の整理、四日市銀行営業再開のための資金手当て、桑名から名古屋までの建設費などを見込まれて算出されたものです。M&Aの資金調達としては、サントリーが事務ビームを買収したディールや伊勢電気鉄道買収のように現金によるもの、イオンがダイエーを完全子会社化にするために使われた例があるように上場会社が行う新株発行と株式交換の組み合わせ、一時期アメリカで行われた被合併会社の収益力を担保に買収資金を債券化するLBO(レバレッジドバイアウト)といろいろありますが、LBOは本邦ではほとんど出てきません。

 

(この先の出典木本正次「東への鉄路」初版1977年)いずれにしても、この時点では収益力がないので新株発行や社債発行といった手段が取れなかった参宮急行電鉄にとって、本案件の資金調達は銀行借り入れに頼らざるを得ません。参宮急行電鉄専務井内彦四郎氏が三菱銀行に走ったのは、井内彦四郎氏が大阪電気軌道入社する際に豊川良平三菱合資会社管事から「東へ鉄路伸ばせ」と言われその通りに動いたこと、「豊川良平がついている、三菱がついている」といわれたこと、三菱電機はその創設時に井内氏の伝を頼り金森社長と接触し、宇治山田高速線の電装品の売り込み故障に泣かされたこと、三菱銀行専務山室宗文氏が大阪支店長だったころに大阪電気軌道が三菱銀行をメインバンクにしたことです。

 

Kintetsu2227_Scan10075最終的に、近畿日本鉄道が成立する為の決定的な要因である、伊勢電気鉄道を合併する際に行われた、参宮急行電鉄に対する10百万円(自己資金ゼロで年に2万6千円のへそくりができる人が1000万円の住宅ローンを組むことを連想してください)の融資実行を三菱銀行が決断を行った時、当時の専務山室宗文氏が重役会で次のように言ったと伝わっています。「要は経営者を信じるか否かという点である。僕は大阪支店長時代からこのかた、大阪電気軌道の金森(又一郎)社長や首脳陣の人柄をよく知っているが、特に金森社長は聡明な人で、しかも嘘を言わない人である。事業には練達堪能で、かつすこぶる堅実な人である。決して無謀なことをする人ではない。他の幹部諸氏も皆真面目な人たちで、よく社長を輔佐している。だから経営者を信じてこの金融には応じて良いと考える。それは、私の責任において実行する。」

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