経営者向け「孫子」入門(8) 「敵を知らず、己を知らず」

孫子第3編は、「故日、知彼知己者、百戦不殆、不知彼而知己、一勝一負、不知彼不知己、毎戦必殆」で終わります。読み下し文では「故に曰く、彼を知り己を知れば百戦殆からず、敵を知らず己を知れば一勝一敗し、敵を知らず己を知らざれば毎戦必ず殆うし」となります。特に、彼を知り己を知れば百戦殆からずのコメントは孫子の中ではよく引用される文ではないでしょうか。

まず何事も己を知れ、ということが出発点です。己を知らなければ毎戦必ず殆うし、つまり負けるといっています。知った己を踏まえて軍事作戦を実施する際には、必ず作戦命令書という形で文書化されます。これに対して己を知ってビジネスを実施する際には経営計画書ないしは事業計画書を作成することになります。作戦計画書も事業計画書もそれ自身は目的物ではなくてプロセスの一部です。

実のところ如何にして己を知るのか、ということは簡単ではありません。事業計画書の作成本にはSWOT分析やBSCなどの技法が紹介されているのですが、だれでも使える代物ではありません。ただ、困ったことに日本政策金融公庫がSWOT分析を好むので必要に迫られて専門家の助言のもと使うことはあります。ただ、残念ながら現在進行中の事例についてはどのように己を知ったかを知ることが不可能なので、ここでは広く歴史に事例を求めることになります。

作戦計画書というものがあるということを触れましたが、昭和19年6月に行われた「あ号作戦」をもとに「己を知らず」を検討します。「あ号作戦」の結果、日本の絶対国防圏が崩壊するとともに東條内閣総辞職になります。またアメリカの戦史家E.S.モリソン博士が評価するように「日本海軍の潜在的戦闘力は消滅する」ことになる重大な結果をもたらします。

聯合艦隊参謀長福留繁海軍中将昭和19年3月に、大日本帝国海軍がアメリカ軍の侵攻予測正面を、マリアナ諸島もしくはトラック諸島に設定し、アメリカの機動部隊の撃滅を目的とした作戦を立案します。この作戦が記載された作戦書を「機密連合艦隊命令作第七三号」といいますが、通称「新Z号作戦」といいます。この新Z号作戦書が、当時の聯合艦隊参謀長福留繁海軍中将以下9名が前線基地から後方の基地へ移動する際に登場した飛行機が不時着してアメリカ軍に流出します。聯合艦隊司令部からアメリカ軍にZ作戦計画書が流出した事件を海軍乙事件といいますが、通常は石川数正に出奔された徳川家康軍制を武田流に変える程度のことを行います。つまりZ作戦計画書を破棄します。

しかし、海軍乙事件ではそのような処置をとられることはありませんでした。理由は明確ではないのですが、本人が否定したこともあり福留繁海軍中将に捕虜になった責任や文書流出責任を取らせることは不味いとする政治的な判断がなされたことが原因だと思われます。ただ、この影響はマリアナ沖海戦といわれる「あ号作戦」の結果帝国海軍の機動部隊が再建が不能になり、西太平洋の制海権がアメリカ合衆国に落ちるという形で払わせられます。

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