1. 「プロジェクトマネジメント」と「工業標準化」
アポロ計画と東海道新幹線は「プロジェクトマネジメント」と「工業標準化」2つの共通項がありました。アポロ計画は1961年5月25日に「アメリカは今後10年以内に人類を月面に到達させる」と大統領が宣言したことにより期限を決められ、東海道新幹線は1964年10月10日に開業を間に合わせるという期限を決められたことにより、短期間で成果を出さなければならなくなります。このために、利用できるリソースを最大限有効活用する必然性が生じ、その方策として「プロジェクトマネジメント」と「工業標準化」を採用することになります。特に、工業標準化はアポロ計画と東海道新幹線という国家的プロジェクトを遂行する中でのみ推進することが可能となります。
さて、アポロ宇宙船はノースアメリカン、月着陸船をグラマン、サターンロケットはボーイングを主契約者とし、新幹線は車両を5社、管理システムを日立が受注するという状態にあり、どちらのプロジェクトも1社独自の仕様で業務遂行をすることは不可能な状態でした。特にアポロ計画は全米各地の数万ともいわれている事業所の進捗管理をすることが求められ、従来のマネジメント技術では対応できないことからプロジェクトマネジメントという概念が登場することになりました。
現在でも、鉄道システムのすべてを完結して提供できる能力を有する企業は世界で日立製作所のみです。日立製作所以外の鉄道関連企業は何かが提供できません。アルストムは発電機を提供できませんし、シーメンスはコンピュータを提供できません。三菱電機や東芝は車両制作ができませんし、近畿車両は電装品を供給できません。従って、鉄道事業を行うに当たってはどうしてもプロジェクトマネジメントが必要となります。
新幹線計画では時間短縮を図るため、工区を分割して一斉に線路工事を開始させるとともに、車両については川崎重工、日本車両製造、日立製作所、東急車両製造、近畿車両の5社に同一の設計図に基づいて均等に発注する方策を取り、この5社間の車両について自由につなぎ替えを行えるように求めます。このため、工業標準化が求められたのです。それ以前の車両では制作会社によって図面が異なっていました。さらに言えば、海軍零式艦上戦闘機は三菱重工業と中島飛行機の2社によって作られましたが、2社の設計図が異なっていました。戦前の日本では標準化の概念がなかったということですし、その影響は新幹線計画当時にも残っていました。工業標準化は日本の製造業の競争力強化に貢献したことは間違いなく、全く輸出の可能性のなかった新幹線計画が日本産業全体の競争力強化に貢献しました。
2. 工業標準化と品質管理
工業標準化が製品の品質を安定化させることが明らかになりました。規格要求事項をコントロールすることで製品のばらつきを防止することができるとわかったからです。また工業標準化は必然的に品質管理を伴うことになりました。品質管理に携わらない人間に誤解が多いのは、品質管理=品質検査であるということです。実は品質検査を行うことによって品質が向上することはありません。あくまで品質検査は規格外品を市場に流通させないという活動にすぎません。従って品質検査活動はコストアップ要因となります。
このような背景があり、一般財団法人日本規格協会が『品質管理と標準化』セミナー、一般財団法人日本科学技術連盟が『品質管理ベーシックコース』セミナーを開講して一定の成果を上げてはいます。ただこの2つのセミナー期間が6か月にわたるため最近では受講生が減っているといいます。このことと日本の品質管理に対する考え方に変化がみられることが連動しているかもしれません。この2つのセミナ―が教えるキモは「品質検査は悪である」ということであり、工程内で品質管理をしなさいということです。
これに対して最近はやりのISO9001は基本的に「次工程に不良遺品を出さない」と許されるということになりますので、ISO9001では品質管理をしにくいという声があるようですが、ISO9001のキモは「マネジメントシステム」の標準化ですから個々の製品ではなくその背後にあるマネジメントシステムの標準化です。
このように考えていきますと、アポロ計画と東海道新幹線は現在の企業経営に通じる手法を開発したということがいえます。アポロ計画と東海道新幹線計画は当初やむにやまれぬ事情でスタートしたプロジェクトだったのかもしれませんが、普段の利用者が意識しないところで競争力を強化するための仕組みを生み出すことができたという事例として取り上げることができると思います。大規模だからということではなく、2人以上の人間の手によって成り立つプロジェクトでは使える手法ではあると私は考えます。そこにはマネジメントと標準が必要となるからです。