事業の創造 解題(9)  『綺麗で、早うて、がらあきで、眺めの素敵によい涼しい電車』

今まで「阪急電鉄」と断りもなく使っていましたが、阪急とは「阪神急行」の略称です。鉄道ファン向けの書物には「阪急は神戸線の敷設をもって郊外電車から大手私鉄へ成長した」とありますが、阪急電鉄自身は大手私鉄を志向したか解りません。ただ、小林一三氏は宝塚線運行とその沿線開発だけでは収益の安定性が見込めないと判断していましたので、神戸線敷設の目的は収益の安定でした。言い換えるならば、大阪~神戸間の輸送という安定した収益を確保するために路線延長が必要であると判断したのです。

当時、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道では「灘循環電気軌道」と路線を接続することによって神戸への路線を確保しようとします。今でもそうですが、鉄道は免許制を取っています。建設した会社が許可しない限り、同じ線路の上を複数の鉄道会社の車両が走ることはありません。このため、路線の新設のためには路線免許を得る必要があります。灘循環電気軌道は西宮から神戸までの免許を保有していました。

さて1914年箕面有馬軌道の取引銀行であった北浜銀行が経営破綻したことにより同行が保有していた灘循環電気軌道株式を処分することになりました。灘循環電気軌道の株式を入手することは同社の保有している免許を取得することにほかなりません。この株式を巡り箕面有馬電気軌道と阪神電気鉄道が大審院まで上告した法廷闘争を含むバトルを行った結果、箕面有馬電気軌道が灘循環電気軌道の株式を取得します。神戸線開業当初、小林一三氏はウキウキしながら「新しく開業した神戸行き急行電車、綺麗で、早うて、がらあきで、眺めの素敵によい涼しい電車」という広告を打ったのです。実はこの広告、阪神電鉄と比較した阪急の特性を表現しています。

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