事業の創造 解題(5) 『すみれの花咲くころ』

タカラヅカといえば宝塚歌劇を連想する人は多いでしょう。あるいは宝塚市立手塚治虫記念館を連想するでしょうか。しかし、タカラヅカと聞いて兵庫県宝塚市や阪急宝塚線のターミナルを連想する人はあまりいないと思います。また、宝塚歌劇が宝塚市になければならない地理学上の合理性はありません。

宝塚歌劇がタカラヅカに設置された理由は休日に阪急宝塚線に乗客を乗せるツールとして意図されたためです。阪急電鉄は電車の乗客が目的地とするために宝塚歌劇開設当時は辺鄙な場所であった宝塚に歌劇団を置きました。阪急電鉄の宝塚歌劇への気合の入れ方を示すエピソードの例として、宝塚歌劇団の初期の脚本家の中に阪急電鉄の創業者である小林一三氏が入っていることがあげられます。それも、経営者の特権を利用したというものではないことがポイントです。偶然タカラヅカへの招待を見て知ったのですが、歌劇の興行において宝塚歌劇団は各組のトップスターにより小林一三へ哀悼の意を表明します。

関西において一般に阪急沿線は上品であるとされています。これは阪急沿線が上品な場所を通っていることも影響していますが、宝塚歌劇団が宝塚にあることによって、上品なイメージを阪急電鉄に与えていることも影響があると考えられます。設置当初、宝塚歌劇団は宝塚になければならない必然性はなかったのですが、今では「歌劇の街宝塚」から宝塚歌劇団を移設させることは不可能です。

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