戦略論事始め

現代日本において戦略論を学ぶ意義

戦略的ものの見方というものが歴史のいずれかの段階で登場したのかよくわかりませんが、文献でたどれるのは春秋戦国時代の「孫子」までが限界です。また、リデル=ハート卿が「戦略論」を展開するに当たり、古代ギリシャのエパミノンダスの戦訓から記述を始めることを考えると少なくとも紀元前500年まではさかのぼれるということです。これらは文献によってさかのぼれるというだけなので、国家間の争いはそれ以前からもあったことを考えると実際に戦略的なものの見方はそれ以前からあったと考えることが自然だと思います。つまり、人間の活動の中でも最も古いもののひとつではないかということです。以後2500年間、歴史の発展とともに戦略は発展したのかどうかについては、歴史から学ぶ以外に方法はありません。ただ、戦略は国家機密に属するため表に出ることは少ないようです。このことが戦略を神秘的にしていると思います。

近代国家において、我々は個々人が主権者として主体的に国家の基本政策の妥当性を判断することが要求されています。このことは我々が戦略から逃げることはできないことを意味しており、戦略は専門家だけの専有物ではないということです。しかし、戦略は一般的に広く知られる性格がないことに加えて、体系化された試みが少ないことも手伝って一般人が戦略を学ぶことを困難にしています。さらに、本邦においては戦後教育の影響からか、戦略論の学修は白眼視される傾向にあります。しかし、これらのことが戦略論の学修を不要にするということを意味することはないのです。

 

経営戦略論の敷衍方針

経営戦略論は兵学から概念を導入したのですが、経営学ないしは経営論の分野において一ジャンルを築いており、日常用語と化しています。経営戦略論は兵学上の戦略論とは離れて独自の発展をしています。経営戦略論は主な流儀で10とも13ともいわれています。さらに、戦略の持つ神秘性を踏まえて、本来は戦略とは言い難いような、製品戦略、開発戦略、戦略的物流という用語まで登場しています。しかし、戦略という概念を用いているからには、少なからず兵学上の戦略論の影響を受けているはずですし、用語の制限が必要ではないのかとも考えております。したがって、兵学上の戦略論の概念を踏まえたうえで、経営戦略論敷衍を試みていきたいと考えています。ただ、注意しなければならないのは、兵学上の戦略論の対象が国家であるのに対して、経営戦略論は主として企業を対象としているため、対象とする特性が異なるかもしれないということです。

私が戦略論に興味を持ったのは、戦略論のフレームワークを使えば合理的な範囲で相手の出方を予測することができるのではないかという極めて個人的な関心がありました。また戦略論を使うことによって合理的な意思決定の手掛かりを与えてくれるのではないかと考えています。経営戦略論に関心を持ったのは戦略論に対する関心の延長上にあります。ただ、戦略論と経営戦略論には「戦略」という概念について齟齬があるように感じおり、この齟齬が気味悪く思っています。そこで、戦略論を手掛かりに経営戦略論と実際の企業経営における事例を敷衍していきたいと思います。

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