J.C.ワイリー『戦略論の原点』を読む(2) 戦略の定義

ワイリー提督によれば、戦略とは「何かしらの目標を達成するための一つの『行動計画』であり、その目標を達成するために手段が組み合わさったシステムと一体となった、一つの『ねらい』である」と定義されます。この定義を行うことによって、軍事以外の分野にも適応されることを可能とする、目標を達成するためのねらいと手段を実現するためのシステムの双方を同時に意識することを強要させる、という二つの特徴を持つことになります。この二面性が重要であると考えております。  

ワイリー提督の『戦略論の原点』が発表されたのは1967年ですから経営戦略論が勃興する時期に重なりますが、経営戦略論の大家マイケル・ポーター教授がワイリー提督を引用したという話は聞いたことはありません。理由は経営戦略論は経済学の応用であるがと戦略論は歴史学の応用とアプローチの方法が異なるからです。とはいえ、ワイリー提督を取り上げたのは戦略の定義として「何かしらの目標を達成すること」及び「手段が組み合わさったシステムと一体となった『狙い』」が組み込まれているからであり、もう少し単純に意思決定のための目標や目的、そのための手段を獲得できると考えたからです。  

実際のところ、私は中等教育まででこれらの目標や目的ないしはそのための手段は確保できると思っています。ですが、プロシア参謀本部の「目的はパリ、目標はフランス軍」ではありませんが、学校教育は目的と目標だけではなく、そのための手段も混然一体となって提供されているように感じてなりません。あくまでも個人の感想ですから、プロの教師にかかると違うと指摘を受けるかもしれませんが、私にはそう感じるのです。その為、いったんは何らかの道具を使って整理する必要があると思っています。

絵の得意なある方と意見交換を行った際に「政治家は言葉を使って有権者を説得することを必要とする」といったことがありますが、ワイリー提督の定義に従えば正しくない。あくまで「政策に合理性があれば政策を説得すれば良い」のであって「絵で説得しても音楽で説得してもかまわない」はずです。そこで必要となるのは「政策に合理性があるかどうか」の判断基準の確立と「説得するための方法論」を持つことであるはずです。  

ワイリー提督は方法論として過去の戦史からパターンを学ぶもの、演繹的に理論をもとに学ぶものを提唱し一般的ではないといいますが学問の研究方法としては一般的です。ですが、我々は学問の研究方法を検討しているわけではありません。あくまで、特定個人の意思決定に役立てることを目的としています。判断基準の確立と方法論としての仕組みの提示を最初の行動計画に、その定着を「しくみ」とするならば充分に戦略的になるでしょうし、そのためのフレームワークの確立自体も戦略的になります。また、ワイリー流の戦略的思考は融通無碍なので真似が困難であると思っています。

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