今日は硫黄島を守っていた小笠原兵団が組織的抵抗をした最後の日から数えてちょうど70年です。
日本軍の最期といえば「バンザイ攻撃」のイメージがありますが、それはイメージにすぎません。
少なくとも第18軍やペリリュー島守備隊、硫黄島守備隊や沖縄守備隊はバンザイ攻撃をしていません。
バンザイ攻撃や特別攻撃隊に志願するかといわれると怖くて志願できませんが、少なくともバンザイ攻撃や特別攻撃隊に志願して国のために命をささげた英霊をたたえることに何ら問題はないと思います。
滅多なことではいけませんが、近くを通りかかった時には靖国神社にお参りします。
余談ですが、日本公認会計士協会の本部が靖国の近くにあります。税理士会連合会は大崎です。
ただ、大阪の護国神社は場所を知らなかったのでお参りしたことはありません。以前福岡に住んでいた時はよく通っていました。
最近は国を守ることについて極端に美化するか批判するかのいずれかに触れていると思います。
我々が必要なのは歴史から学ぶことではないでしょうか。
さて、アメリカ軍が硫黄島を攻撃したのは3点理由があります。
・日本軍の監視レーダーを撤去して防球体制を弱める
・P-51ムスタング戦闘機の基地を確保すること
・B-29戦略爆撃機の修理基地を確保すること
硫黄島の戦いはアメリカ軍の損害が日本軍のそれを上回った唯一の戦いとして知られています。アメリカ軍の評価はこの三点を達成したことをもって本攻撃作戦は成功したと評価しました。
では本当にこの戦いは必要であったのか?
1944年6月のマリアナ沖回線による第一機動艦隊(第三艦隊)の空母決戦兵力が全滅します。
これにより帝都及び太平洋方面の制空権と太平洋方面の海域での制海権を喪失します。
事実上、この段階で日本軍はアメリカとの戦いに敗れます。
これは、戦後に行われた戦略爆撃に関するアメリカ軍の評価でも固まっています。
ここでは、国を守るということはどういうことかを我々が常に考える必要があると、栗林忠道陸軍大将は我々に投げかけていると、後を継いだ日本人としてそのように考えるのです。
戦略論との関連でいえば、戦略の敗北は戦場の戦術で覆すことはできない、ということです。