戦略論の「パラダイムシフト」

 

竹製『孫子』

竹製『孫子』

 取り扱うものが政略の最上位にあるものであることから、戦略論の研究家はあまり表に出てきません。J.C.ワイリーによれば戦略研究家公刊された戦略論研究者は5人しかおらず、そのうち2人は2番目の仕事が戦略論研究となっています。彼らに共通する研究法は「先行する研究を参照したものではない」ということにあるといいます。つまり「独力で理論を構築した」といいます。実際のところを言えば、旧帝国陸軍の「統帥綱領」のように公刊されていない部分ではマニュアルが存在していましたが、その性格上表に出にくいということがいえるでしょう。

 クラウゼヴィッツやリデルハートといった戦略論の研究家は西洋の教養人というバックグラウンドを持っているため、形而上学や歴史学のパラダイムに従った研究を行いました。クラウゼヴィッツはヘーゲルの影響を受けていますし、リデルハートは英国人的歴史学的帰納法を用いて戦略論を組み立てます。また『孫子』にしても戦訓をもとに帰納的に教訓を引き出します。

 日本では案外知られていませんが、軍隊は数学的素養を必要とします。空軍や海軍は物理学を使わないと兵器を動かすことができませんし、陸軍においても弾道計算をするためには物理学的素養が必要です。このため、第2次大戦当時のアメリカ軍の作戦立案をもとにオペレーションズリサーチが発達したことは有名です。翻って日本軍では数学的素養を重視して戦略立案がされたとは聞きません。

これに対して、経営戦略論は当初「経営史家」のA.D.チャンドラーによって持ち込まれましたが、ポーター『競争の戦略』以降、ミクロ経済学の一分野である産業組織論を理論的背景に置くようになりました。あるいは同時代の戦略系コンサルティング株式会社もほぼ同様の理論的背景をもって戦略コンサルティングを実施しています。経営戦略論がミクロ経済学を背景とするということは数学的素養を必要とすることを意味し、戦略論からパラダイムがシフトしたといえるでしょう。クーンも指摘していますが、パラダイムがシフトした時、その前後の専門家集団間では会話が成立しません。同じ言葉を違った意味で用いること、思考のフレームワークが異なることがその理由となります。形而上学や歴史学と経済学ではそのバックグラウンドは異なりますし、研究の方法論も異なります。文科系学問とされる領域において、経済学、心理学とそれ以外の学問領域では方法論が異なります。先年亡くなられた小室直樹博士が指摘されている通り、経済学はモデリングで、心理学は実験で自然科学的方法論を持ち込めるのですが、それ以外の領域で自然科学的方法論は持ち込めないのです。

「戦略論」と「経営戦略論」の間はパラダイムシフトがみられて会話が成立しないのではないか、というのが私の今の見解です。「中長期的な資源配分の計画」は同じでも、その方法論は全く異なります。

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