パラダイムという言葉 クーン『科学革命の構造』から

 IMG_0230.JPG (2)いろいろなところで「パラダイム」という言葉が用いられますが、「パラダイムシフト」という言葉を用いられるときに言うパラダイムは1960年に出されたThomas S. Kuhn”THE STRUCURE OF SCIENTIFIC REVOLUTIONS”の中で使われた”paradigm”をもとにしています。クーンによればパラダイムとは「科学革命」を説明するために用いられたキーワードの役割を果たします。パラダイムには「次の二つの本質的な性格を持っている。一つには、彼ら(引用者注:アリストテレス、プトレマイオス、ニュートン、フランクリン、ラヴぉアジェ、ライエル)の業績が、他の対立する科学研究活動を棄てて、それを支持しようとする熱心なグループを集めるほど、前例のないユニークさを持っていたからであり、いま一つにはその業績を中心として再構成された研究グループに解決すべきあらゆる種類の問題を提示してくれる」(中山茂訳『』1971年 みすず書房)という性格があるということです。パラダイムが変わるとき「科学革命」が起こるといいます。クーンは科学史家ですから、自然科学の研究成果をベースとしてパラダイムを提唱したわけです。我々のレベルでは「コペルニクス的転回」は科学革命で、パラダイムシフトが見られますという理解で問題がないということです。

 私は言葉で情報を発信しようとする人間ですから、言葉について少しはこだわりを持っています。クーンの『科学革命の構造』を読んで得られる「パラダイムシフト」の語感と最近いろんな場所で使われる「パラダイムシフト」の語感が少しシフトしているのではないかという気がします。『科学革命の構造』では科学革命を「パラダイムがシフトした状態」と認識しています。私は法学部出身ですが、法律解釈学ではパラダイムシフトなどということはまず起こりえないでしょう。今までの通説とされる方法論を棄てるわけですかが、私の恩師は「松井君、法律学はローマ時代から変わらないんだよ」とおっしゃいました。そんな世界の住人も「パラダイムシフト」といいます。

 パラダイムシフトが起こるとき、前にいる専門家と後ろにいる専門家間での会話は成立しません。これはよって立つ「パラダイム」が違うからです。だからこのような状態を「科学革命」と呼ぶのだ、と私は理解しています。このパラダイムシフトが戦略論の中ではあったのではないか、このことが「そもそも「戦略」という言葉は、語源的には軍事の分野に発祥したものであるが、日本では、この本来の意味との相関関係を十分検証しないまま、政治・経済・経営などの諸分野で「戦略」という言葉が濫用されている。

 しかも、われわれ日本人は戦略的発想が貧困で、戦略的対応も拙劣であると批判され、あるいは自己批判して久しい。

 そもそも戦略的発想・対応の適否が俎上に乗せられるのは、危機・戦争といった異常事態に遭遇した時である。ではわれわれは平時において、現実に存在するこれらの異常事態を直視し、社会科学の研究対象として取り上げ、真摯に考究してきただろうか。戦争や軍事を忌避する社会科学音痴症候群に陥っていなかっただろうか?」(日本戦略研究学会設立趣旨)の問題意識の回答の手掛かりを与えてくれるのではないかと思います。

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