事業コンセプトとスローガン “Digital Dream Kids”

事業コンセプトを広めるにあたって、シンプルにした方がいいということでコンセプトを簡単に表現した「コーポレートスローガン」を使うことがあります。コーポレートスローガンのうち、戦略的だという例として示されるのが、1996年からソニーが使った“Digital Dream Kids”です。

ソニーは企業理念を明記した唯一の文章として、会社設立趣意書に記載された「 真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」があったのですが、設立趣意書だけではまずいと当時ソニー株式会社社長の出井伸之氏が「設立趣意書では何をすればいいのかわからない」危機感を抱き制定したものです。「デジタル機器に目をキラキラさせる子供たち」という意味で、その後ろに「のようになれ」と続きます。

当時のソニーは、テレビ、放送用機材で世界最大のシェアを持ち、特にアナログ用放送機材では事実上の標準でした。また、アナログテレビ(トリニトロン)、アナログ用放送機材(BETACAM)、携帯オーディオ(Walkman)で強力なサブブランドを持ち、これらサブブランドの存在と技術力に対する信奉がソニーのブランドイメージを高めていました。これに対してデジタル化の観点から見れば、パナソニックによるデジタル放送用機材の浸食、コンピュータ事業の相次ぐ参入失敗、携帯オーディオのデジタル化の遅れ、薄型テレビの方式決定の遅れとデジタル化に対応できたとは言い難い面がありました。

このデジタル化への遅れの要因の一つに、アナログ時代に確立した独自技術派のこだわりがあったといわれています。デジタル化を進めるにあたって対応できる技術者が少ないこと、アナログ技術者のプライドがデジタル化を許さなかったといったことが指摘されていますが、今までのソニーの製品ラインナップでデジタルに親和性の高いものがなかったのも確かでしょう。

そこで登場したのが、“Digital Dream Kids”「デジタル機器に目をキラキラさせる子供たち」です。社外に対してはデジタル機器に目をキラキラさせる子供たちのようなユーザーを満足させることを約束し、社内に対してはデジタル機器に目をキラキラさせる子供のようになるという意味で使われました。元来は大人たちに向けて発せられたメッセージだったのですが、実際にはソニーからデジタル機器としてPlaySationが提供されたことからもわかる通り、子供たちに対して提供されたゲーム機が一番利益に貢献しました。

このスローガンを提唱した間、ソニーは利益の源泉をブランドの基盤であったエレクトロニクスではなく、ゲーム事業、金融事業、エンターテイメント事業からもたらされていました。ようやくにしてエンターテイメントは安定的に利益を出すことができるようになった反面、エレクトロニクス事業は赤字が続き、ついには20034月に見舞われた「ソニーショック」で表面化することになります。

結果から見れば、この“Digital Dream Kids”は事業コンセプトを表現したスローガンとしては機能しなかったということになります。事業コンセプトとして機能しなかった要因はこのスローガンでは事業の方向性をある程度好きなようにとらえることができるというのが大きいと考えられます。つまり、基本に立ち返ろうと思った時に基本に帰れないということです。これに対して同時に提唱された“regeneration“はある程度機能してのかもしれません。ソニーがエレクトロニクス企業から、エンターテイメントと金融の企業にポートフォーリオを組み替えることには成功したと考えられるためです。

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