システムをめぐる派手な競争 解題(2)

戦略的要衝

北マリアナ諸島は日米双方にとって、「戦略的要衝」でした。戦略論コラムですから、あくまで「戦略的要衝」について取り上げる必要があるということも、北マリアナをめぐる戦いについて取り上げる必要があります。このような取り上げ方を一般社会では「強引」と申します。

太平洋戦争以前

日本人にとってグアム、サイパンは今でこそ日本から3時間半で行くことができる気観光地ですが、戦前では日本委任統治領南洋群島の拠点となり、サイパン島には南洋群島を防衛するための陸海軍部隊(主として海軍部隊)や準国策会社の南洋興発株式会社の本社おかれるなど、南洋群島の拠点となっていました。また、日露戦争後の日本海軍はアメリカ海軍を仮想敵とし、マリアナ沖でアメリカ艦隊を迎撃する戦略を持っていました。また、アメリカから見れば、北マリアナ諸島は本土西海岸からアジアへ伸びていくフロンティア上に存在した場所です。マリアナ諸島は日本の委任統治領南洋群島に向かう航路とアメリカからフィリピンを中心としたアジアへ向かう航路が交わることになるので、オレンジプランによって日本海軍を殲滅する場所として選ばれていました。

以上が第2次大戦を迎えるまでにおける北マリアナ諸島の戦略的意味です。すなわち、日米双方の海外領土(日本の委任統治領とアメリカの植民地)へ向かう交通の要衝という意味がありました。自国船舶を安全に通行させるためには、日米双方とも北マリアナ諸島の安全が確保される必要があるということです。

太平洋戦争開戦後

太平洋戦争が開戦しても、マリアナ諸島の重要性は変わりませんでした。これは日本の産業が南方から資源を輸入し日本本土で加工し南方へ輸出するという形態をとっているために、経済を成立させるためには太平洋の制海権が必要となるからです。このため、拠点としてのマリアナ諸島の重要性が変わることはなく、マリアナ諸島の防衛のためにトラック諸島に海軍根拠地を置き、トラックを守るためにラバウルに基地を作るといった形態をとりました。また海軍は最終決戦をマリアナ沖で実施する作戦構想を持っていたため、作戦根拠地がマリアナ諸島に必要となっていました。この日本軍の作戦構想を真っ向から否定したのが、開戦時の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将であり、彼が着想した真珠湾攻撃に始まりソロモン諸島沖まで全線を広げた一連の作戦です。

アメリカから見れば、日本を攻略するためのB-29戦略爆撃機の基地として、またフィリピン攻略の基地として重要な場所として認識されるようになりました。特にB-29戦略爆撃機は昭和19年までには中国成都に配備されていましたが、補給上の困難から連日の出撃が不可能であったため、これに代わる基地としてマリアナ諸島が注目されました。マリアナ諸島から日本本土までは約2,500キロですから日本本土の大半はB-29の作戦行動領域になります。アメリカ陸軍航空軍には、日本に対して連日の戦略爆撃を敢行したいとする意志があったため北マリアナ諸島は必要でした。また、北マリアナ諸島を攻略することによって中部太平洋の制海権を確保することができるため、日本の産業構造に対して重大な影響を与えることができます。

このような日本、アメリカ双方にとって戦争の行方を左右する拠点を「戦略的拠点」と呼びます。ただ、太平洋戦争における戦略的拠点をめぐる争いはフィリピンとシンガポールそれぞれの攻防戦、インパール作戦くらいですかね。

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