近畿日本鉄道を題材にM&Aを考える (8) 大阪鉄道の統合

近鉄橿原神宮前駅企業の再建型倒産処理には債権者を納得させる事業再生計画とスポンサーが必要となります。まあ、ダイエーにおけるイオンがこれに該当しますが、イオンはダイエー以外にもヤオハンやマイカルのスポンサーになっています。古くは野家におけるセゾングループもスポンサーになります。再建型倒産処理の場合はスポンサーの支援と事業再生計画,それにターンアラウンドスペシャリストが必要となりますが、ターンアラウンドスペシャリストは文字通り再生請負人の能力を必要とします。この構造は中小零細企業においてはリスケジューリングにおける『経営改善計画』を持って金融機関に交渉するという構造と同じです。中小零細企業では再建型倒産処理が行われることはまずありません。

さて、大阪鉄道ですが、これは現在の近鉄南大阪線を敷設した企業を指します。大阪から橿原神宮前を経由して吉野に行く路線を建設した会社で大坂電気軌道のライバルとして競争相手になっていました。近鉄南大阪線のターミナルである大阪阿部野駅には近鉄のシンボルであるあべのハルカスがありますが、本コラムではそんなものがあるということだけ知っていただければ十分です。

昭和初期の話ですが、京阪、大軌、伊勢電と同じく大阪鉄道も同じ背景を持って経営危機を迎えます。昭和初期は第一次世界大戦後の好景気から反転して世界で初めて日本が不景気に見舞われます。その後、暗黒の月曜日を迎えるのですが、とにかく世界的に不景気になります。京阪電鉄の天満橋~守口間の複々線開通、大軌宇治山田線延伸、伊勢電の大神宮前延伸と同じく、大阪鉄道は延伸線の不採算に見舞われます。これは当初計画時に予想した乗客が確保できなかったことが最も大きな要因です。

ある書籍(このある書籍は本コラム連載が終了した時点で明らかにします)では、大阪鉄道の課題を4つ上げています。それらは、建設費調達に関する誤算、延伸線の低収益性、財務政策の放漫、「金融恐慌」及び「昭和恐慌」の影響です。このうち第四の金融恐慌及び昭和恐慌は完全に失われた20年の今の姿とオーバーラップしますが、前三点は経営改善計画提出企業の状態に重なります。鉄道会社に限らず、昭和初期にはこのような事例が山積したということです。従って昭和初期の事例を検討すると今の対応策のヒントは得られると思います。確かキッシンジャーが言ったと思います「賢者は歴史に学ぶ」と。

大阪鉄道の経営改善計画、もとい、経営更生計画は次の5ポイントが骨子です。合計1750万円に達する負債の整理、事務の刷新、サービスの改善、運賃の低減、沿線の開発がそれらですが、中小零細企業の経営改善計画では負債の整理を行うために後ろに述べた経営改善計画を策定するのですから、そこの点を間違えてはいけないと思います。

ちなみに、経営改善策の内容は、運賃値下げと運行頻度及び速度の向上、阿部野ターミナル拡張と阿倍野地区での兼業実施、バス次行の拡張、住宅地の開発、汐ノ宮温泉の開設です。これ等の手法自体は民営鉄道の経営教科書に記載されていることかもしれませんが、経営改善を図ることができました。ここで話が終われば大軌のスポンサーとしての取り組みは終わるのですが、経営再建後に合併するというのは戦時統合という通常の経営環境では登場しない国策が登場したことにあります。

タイトルとURLをコピーしました